iphoneのアラームを珍しく6時台にセットして、枕元に置いたら、旦那のiphoneが30分早く鳴り、
1歳になったばかりの息子がうーんと言って寝返りを打つのが聞こえて私も目が覚めちゃった。
息子はむにゃむにゃ口を動かしておっぱいの形に口を広げパクパクやり、ついにえっえっと言い出すし。そして重たそうな頭をぐるっと回してうつぶせになり、静止した後、むくっと起き上がってこっちを見てにこっと笑った。「海たんおはよ」というとさらに目じりが細くなった。かわいすぎる!
どこまでも広がるほっぺたの一番高い位置をつんつんすると、意外と無反応。息子の笑いのつぼがいまいちわからないなー。朝早く起きたのは、まあ気まぐれに過ぎないとはいえ、少し朝の時間を利用して勉強とか読書とか文書を書いたりとか・・・ともかく頭に思いつく限りのたくさんのことを徒然なるままにやろうという魂胆だったのだけど、息子も一緒に起きてしまってはなんもできないじゃないの。無理やりでも寝かせてしまうしかない。もうすでに立ち上がって壁伝いにアッパ(旦那)のほうにかわいい視線を投げかけている息子は、「喜ばしい朝が来た。遊ぼう!」のムードだし。しばらく自由にさせておくか。とかなんとか思っている間にアッパa.k.aオッパはさっさと洋服に着替えて、じゃあね!とか言って一階に降りていってしまった。
立ち上がっている海をむりやり回転させて、ベッドに押し付けた。そして添乳。
数回「おぎーん!」とか言って起き上がろうとしたけど、背中をとんとんたたいているうちに寝てしまった。・・・・私が。そんな朝。結局今日も何にも変わらない、いつもどおりの朝。
息子の朝
またオープンしたよ
久しぶりのブログ。
9月に入りカフェをまたスタートさせた。
8月は厨房やら階段やら、2FのTシャツアトリエやら
工事ばかりしてて、さすがに夫も疲れた様子。
毎日汗だくで頑張ってくれました。
厨房は、中身を全部出して床張りからやったので、本当に疲れた。
私は物の移動とペンキ塗りしかやってないけど。
でも綺麗になってよかったー・・・
ってなんか当たり前なことしか言えない心境なので
ブログを書くのを中断します!
さいちぇん!
ナマステ
今日は毎週楽しみにしている朝ヨガで、
いろいろとナマステてきました。
なんだかやたらとお腹が減って、お昼玄米を多めに食べてしまった。
これじゃ下っ腹がいつまでたっても凹まないはずです。
昨日はレイモンド・カーヴァーの本を久しぶりにひっくり返して読んでいて、
たまたま韓国語バージョンも持っていたので、「ささやかだけど、役に立つこと」を
夫に朗読。韓国語を読むのがなかなか上達しないから、練習です。
ハッピーな話ではないけど(むしろ悲しい)、とても心温まるあったかい話です。
親になった今、さらにこの短編に深みが加わりました。
あと1週間ちょっとで韓国。韓国の実家は田舎なので冷房がなく、だけど暑い。
息子が熱中症にならないか心配。モーテルも冷房があるのか心配・・・。
だけど1年以上ぶりの韓国がそれ以上に楽しみで。
七夕
さて、あれよあれよという間に7月!蒸し暑い。
じっとしているだけで苦しい。
最近よく蚊に刺されるなあと思ったら、以前はマンション住まいだったので
蚊が上の方の階には生息していなかったということが発覚。
そういえば千葉に引っ越して夜中にやたらやられる。
しかもあいつらやたら頭よくて。と、夫にいったら「頭なんてないよ」
と言われた。じゃあ勘がいいのか?本能?
どっちにせよ完全にもてあそばれている。やっかいなやつらだ。
6月末。昨日初めて海が寝返りを打った。夫が横で催促していると
むきになるように何度も踏ん反り返り、やっと腕が抜けて寝返り。
やっぱりうれしいよね。
じめじめな毎日だけど、参道に設置された七夕の笹の葉がなんとなく癒し。
子供が書いた短冊はなんともかわいげがあるのだけど、
たまに大人が書いたのに「原発反対」とか「福島がんばれ」とか「戦争反対」とか
なんだか七夕様に祈るには、ずいぶん夢のないものも。
そりゃつい書きたくなっちゃうけどさ。
うちのカフェの笹の葉は、お隣の長閑さん家が一緒に置いてくれて、
短冊も私が書く前に一気になくなってしまった。
去年より早かったなあ。
海生誕100日!
地震の日以来ブログ更新が止まったままでした。
出産後やっと動き出せるようになり、張り切ってブログを2回更新しているけど
それきり途絶えてるし。
あれよあれよという間に息子もかなりのビッグサイズに。
生誕100日目!
速いようなママ100日目。いまさら海なしの生活は考えられない!
妊娠中の馬鹿ブレインから少しずつ離脱を試みて・・・
色んなことをやりたくてウズウズしている日々。
キッズTシャツも早くつくりたいし、カフェの看板やメニュー(内容も、デザインも)
も変えたいし、絵もたくさん描きたいし・・・。ダンスだってやりたい!
早く復帰したいなぁ。
でも何をしたって今はお母さん。海が求めるときはいつもそばにいてやりたいしな。
よくばりな母になりたいです。
ジョンカイくん
2011.3.8
出産の日からはや3週間。
毎日違う表情を見せてくれる海。泣き声も始めはふにゃんふにゃんと小さい声だったが、
今はおぎゃーと元気に泣くようになった。
昨日は夕方から夜にかけてぐっすり寝てしまっていたので、夜中全く寝ず。
たまにオッパイをあげるタイミングがおかしくなると、それをいいことに延々と
オッパイを求めてくる。昨夜の夜中もそのパターンで、座って授乳をしていると
だんだん私の頭が眠くて下がってくる。
なので添い乳をすることにした。うまくいけば、添い乳をしながらいつのまにかお互いが
眠り呆けてしまい、次目が覚めるのは次の授乳時間である。
が、昨日はうまくいかなかった。最近吸う力が強くなってきた海。
乳首を噛みちぎるように引っ張ることもあり、自分がぺっと吐いた癖に
「ふぎゃんふぎゃん」とオッパイを求めて泣きだす。
添い乳のときは、海もうまく口の中で含んでいられないらしく
すぐにオッパイを吐きだして泣きだしてしまう。
昨夜はその繰り返しで朝を迎えたので乳首がひりひり。
だんだん母体も元に戻りつつある。(体重を除き)
夫が昨日から韓国へ1週間でかけてしまい留守なので、
私がTシャツのネットショップの管理をしなければならないので
朝授乳を終えたあと母に海を任せて、アトリエへ行って一仕事した。
出産後初のちょっとした体を動かす労働。
天気がよくて、五重塔を油絵で描いているおばちゃんたちがいた。
赤ちゃんをベビーカーに乗せて散歩をしている夫婦がいる。
私も早く海と散歩がしたい。
明日は保健所の訪問サービスがある。1か月までの赤ちゃんの訪問サービス。
いろいろ聞きたいことをチェックしとかないと・・・。
出産の体験2
別室は、蛍光灯の光だけのなんとなく狭苦しい部屋だった。
そこへ私が運び込まれると、すぐに夫と母も入ってきた。
そこで私の子宮の中に残っている羊水を出した。(たぶんアレ羊水だと思うけど)
そして待ちに待った海くんの登場。よく写真で見てたあの透明のカートに入ってやってきた。
私はブドウ糖の点滴をしている。
海君は真赤で、まさに「赤ちゃん」という名にふさわしい恰好をしている。
はれぼったい瞼。ぷにぷにした体。
助産婦さんが海君を私の体に乗せて、それから「おっぱいを吸わせてみましょう」といった。
海君は本能なのか、「待ってました!」といわんばかりの口付きで、ふがふが吸い付いてきた。
「吸う気満々ですね~」と助産婦さんが言った。初めての母親の体験。
頼れるものはあなたしかいないんだよ、といったふうにすがりついてくる。
それからちょっとの間ちゅぱちゅぱやっていると、カートの横についていた機械がさっきまで
ぴっぴっぴっぴと言っていたのに無音に。
心音だと思い、夫と母と私はあわててナースコール。
その後毎日利用することになるその機会は、心音ではなく「呼吸」を察知する機械だった。
「ちゃんと動いてるでしょ?」と助産婦さんに言われ少し恥ずかしくなる。
これから動転してこんなことがまた起こるんだろうな・・・という気になる。
その後私がこれから4日間を過ごす病室に移った。4人部屋なので他に3人の妊婦さんがいるはずの部屋である。
カーテンにより仕切られていて、赤ちゃんのカートが入れるぐらいの大きいスペースがあり、テレビもついていて
清潔。居心地も好さそうで安心した。父も到着。
案内してくれた年配のナースが、「水分補給をしてください」といったので、「ジュースとかでもいいんですか?」と
聞くと、「ココアがおススメです。甘いものを飲むと元気がでますよ。」と優しい笑顔で言うので、ココアを夫に頼んだ。
出産後のココアは確かにおいしかった。だんだんと力が抜けてきて、家族と話していてもまだ腰が痛かったり、またが痛かったりして、
また、眠いのもあって何を話していたのかもよく覚えていない。夫は夕方帰った。
7時半ごろ初めてトイレに行きたくなってナースコールをしたけど、30分来なかったので限界かと思ったがなんとか持ちこたえた。
8時の面会終了時に父と母が帰り、それから一人きりで、パラマウントベッドを自動で動かしながら、体を起こしたり寝かせたりした。
体を自力で起こすことができないので、ベッドに完全に体をつけて動かす。立ち上がるのが本当に一苦労。
立ち上がるとまたに酷く負担がかかり、痛い。この日の夜は電車の音と、1日早く出産して、すでに赤ちゃんと同室の、正面のカーテンの
赤ちゃんの夜泣きで眠れなかった。いずれ私も夜泣きで眠れないんだろうな~。と思いながら。
ずっと我慢していたけど、あまりに痛いのでとうとう鎮痛剤を飲んだ。それでも痛みは全然引かず、
体を横にしたりまっすぐにしたり、いろいろ体勢を変えて見たが(それにもかなり苦労する)
体勢を変えてから少しするとすぐに痛みが出て、辛くて眠れない。
次の日からまた体力を消耗しそうなのにな・・・と思いつつ、朝食を待った。
出産の体験談
出産の経験について。
14日の夜中、仕事がなかなか終わらず2時ごろまでベッドの上でぐだぐだやっていた。
いい加減つかれてきて、就寝。明け方4時ごろトイレに起きたら、2階のトイレに夫が入っていて
なかなか出そうもなかったので重いお腹を抱えて1階のトイレへ。
上がり降りすると随分またに負担がかかるのを感じたが、そのままベッドへ。
そして横になろうとして突然破水。
「あわわわわ」
と慌てそうになったが、とりあえずトイレから戻った夫に韓国語で「病院に行かないと!」と
訴える。夫もあわあわ。そして夫はとりあえず隣の部屋で寝ている父母を起こしに行った。
私は山口病院へ電話。そのとき明け方4時45分。陣痛などはまったくない。
電話に出たナースは、全く慌てる様子もなく(当たり前だけど)冷静沈着に対応。
その時「入院の準備をしてきてください」と言われたらしいけど、あわあわしすぎた私は
タオルだけをつかんで家を出てしまった。タクシーを父が呼んでくれて、約10分ぐらいで到着。
歩くとどびゅっと羊水が漏れるのがわかる。とりあえず病院で教わったように、幼児用のおむつのサンプルを
ナプキンとして使って、タクシーの座席が濡れないようにタオルを三重にひいて座った。
タクシーの運転手さんは妊婦を乗せたことで妙にハイテンションで、ここぞとばかりにアクセルを踏んだ。
病院は羊水の漏れている私にはキツイ2階が深夜の受付。階段しかない。
インターホンで「小林です」と言うと門があいた。
小太りのナースが対応してくれたが、私が荷物を何も持っていないことを知ると突然
機嫌が悪くなり、「旦那さんは荷物持ちのために付添してもらってんだからね」と
うちの旦那を睨みつけた。マスクをすぐに買ってつけるように言われる。
夫は「荷物持ち」なので、すぐに帰宅を促された。「まだ生まれませんか?」と夫。
「まだまだよ」とナース。
シーンとした病院の生暖かい空気の中、明け方なのに全く眠気は訪れず、これから
出産を体験する雰囲気にもならず、とりあえず横になりたい気分だった。
それからトイレで尿検査をし、羊水ようの大きいナプキンをもらってつけて、
案内された噂の陣痛室(4人部屋)の1隅のベッドで横になった。
時計を見たら5時半ごろになっていた。羊水が漏れるたびに赤ちゃんは大丈夫なのかと不安になる。
お腹に心音を図る機械をつけに看護婦が来た。看護婦がいぶかしげな顔をしてお腹の心音を
探すものだから、「まさか赤ちゃんに何かあったのでは・・・」と気が気でなかった。
それから横になっている間中、病院のすぐ眼の前を走る電車の音と、たまに鳴る心音の機械のエラー音、
それから他のベッドで寝ている妊婦たちのうめき声に耳をそばだてながら、どきどきと横になっていることになった。
30分ぐらいは寝たのだろうか。8時になると、他のベッドの妊婦さんたちに家族の面会が訪れ、病室が
賑やかになった。私だけ一人なので、他のベッドの声を事細かに聞いていた。
だんだんと、他の妊婦さんの声が荒くなってきて、「はあ、はあ、はあ」と声が出たり、
尾てい骨のあたりをさすってとか、押してとか、相当に辛そうである。
ナースに「みんな頑張ってるんだから頑張らないと赤ちゃんもつらいよ」とか言われている。
そのころ私は、約10分間隔でなんとなく痛いのかな、腰に痛みが走るよ・・・
というような曖昧な痛みと闘っていた。なんとなくこれを「陣痛」と呼ぶにはほかの妊婦さんに悪い気がして
特に何事でもないふりをして寝ていた。9時15分ごろトイレに起きる。
トイレの帰り、荷物を持ちマスクをつけた母が廊下で立って待ち構えていた。
そのころになってやっと「こりゃやっぱり陣痛ってやつだわ」と言える痛みが襲ってきて、
母が腰をさすってくれることで大分助かった。その波はやはり本に書いてあった通り
だんだんと間が狭くなっていき、痛くない時は天国なのだが、痛いときは地獄。腰の奥の方で
何かがうずくような、たとえようのない痛みだった。母がさぼってさすってくれないと声なく
「さすって!ずっと!」と促した。「これからどんどん痛くなるわよ」と他人事のように母は怖いことをいう。
出産は一種のイベントであり、命に別条のない痛みだし、ましてやあかちゃんが生まれてくるための
輝かしい儀式だと思えばその通りなのだが、当の本人はやはり「もう2回目はないな。二度と産むもんか!」
と一度は思ってしまうものなのである。そのぐらい痛い。
12時にならないぐらいに、病院側から入院の資料の未記入欄を記入せよ、という指示がある。
この時のナースは本当に「鬼か!」と思った。ただ、記入してなかった私が悪い。
勝手に予定日まで生まれないものと思い込んでいた私のミスである。
脂汗を握りながら、遠のくような意識のなか、3、4枚の「はい、いいえ」式のものや名前住所などを
記入するものを機械的に埋めていった。ページをめくるのもつらければ、体を起こしているのも辛い。
そしてそのあときた昼食には当然手をつけられなかった。朝食が7時ぐらいに来たときには、
よもぎパンやらロールパン、ちょっとした野菜など半分以上食べられたのに。
そしてとうとう、最後の陣痛(私にはそう感じた)がやってきた。
もういきみたくなくても勝手に体がいきんでしまう痛み、というか盛り上がるような陣痛。
私が声を出してあがいていると、他の妊婦の対応をしていたナースがカーテンの向こう側から
「小林さん!いきんじゃだめ!いきむのは最後だけよ!」としきりに言ってくる。
母親教室で教わり、たまに気が向くとお風呂の中で練習していた呼吸法も役に立たない。
どうしていいかわからない。しきりに息を吸ってふっふっふっふと吐き続けるほか方法がない。
そしてナースがやってきて、子宮内に手を突っ込まれ、とうとう
「旦那さんすぐ連絡つく?」と「そろそろサイン」が出た。
母に連絡をしてもらうと、私はそれから割とすぐに分娩室に移された。(といっても足で移動だけど)
お腹を触って顔をしかめて歩く私を見た夫は、「なんだよ~このやろう~」というような顔をしていたと
後で報告してくれた。
分娩台は、今まで内診の時に乗っていた台となんら変わりがなかったように感じた。
私はメガネをしておらず、(それがよかったのかも)よく状況を把握できないうちに、
最初助産婦さんが「小林さん、いきんでいいですよ~」と言ってくれたのが
天使からのお告げのように感じた。
「息を大きくすって、息を止めて力いっぱいいきんで」と言われたのでその通りに。
すると、なんとも言えない開放感が。それを5回ぐらい繰り返すと、
「先生!」と助産婦さんが男性の先生を呼んだ。
子宮の入口をぐりぐりやっているのがわかる。
夫は立ち会っているものの、本当に立ち会っているだけで、私の顔をしきりに触っている。
汗が出る。夫は助産婦さんに団扇を渡され、私に風を送り始めた。
そして、後から知ったのだが、入口を少し切ったらしい。メガネがなくてよかった。
そしてそのあと先生と助産婦さんたちの「うまい!」とか「その調子!」とかの
励ましの声に助けられ、5回ぐらいのいきみの末に、ぬるりと海君が出てきた。
そのあと、胎盤の摘出もあり、ただ思ったよりすぐに出てきた。
なんとなく朧げながら、左のステンレスの台に真っ赤な脱脂綿の塊がいくつか置いてあるのが
見える。その数を先生が数えている。
それから、「元気な王子ですよ!」と先生が言い、お腹に何か引いたうえに
海くんを乗せてもらった。貧血で意識が遠のく。海君は思ったよりもしっかりとした
体をしていた。
そして海くんと旦那は、別の部屋へと移動し、何か声が聞こえるが、よくわからない。
先生は最後の仕上げとばかりに、またを縫い始めた。それがまたチクチクと痛かった・・・。
産後の安心感のせいか、今までの痛みに比べたらどうってことないのだろうけど、
やっぱり痛いものは痛い。「痛いです」と言った。
そして普段はそのまま分娩室で2時間ぐらい休むらしいが、この日はバレンタインベビーが
多かったらしく、すぐに別の部屋に移動させられた。立ち上がるとくらっとした。
人生初めての立ちくらみ。
現在母乳をがぶがぶ飲みすくすく育ち3100g






